汚されるほどの何か
それを、私自身持っているのだろうか?
綺麗なココロなんてもう無いと信じていた。
今日は、こっちに一緒に上がって来た旧友と呑んだ。
ココロを許したつもりは無いが、愉しさを感じることはある。
日常が辛すぎる。「辛」と言う字と、「幸」と言う字はどこか良く似ているが
似つかぬモノなのだろう。
もう10日もすれば、クリスマスが訪れる。
別に、何でもないのだろうけど。その日も一人で呑むさ
こうやって意味の無いことばかり並べる
支離滅裂とした自分が嫌い。
あぁ、もう何もかもが鬱陶しくて仕方ない。
ホント、ココロなんて無ければ、楽なのだろうけど、
生憎私にはココロを無くしたまま生きてゆけるほどの
勇気は無い。つまりは、臆病なのさ、全てにおいて、
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